餅は餅屋というけれど
わたしの周囲には看護婦を職業としている友人が多い。なにがありがたいといって鬼畜ネタを好んで書いているわたしにとって、これくらいありがたい情報源はほかにないのである。
ちょうど原作が京都編の中盤にさしかかったころ、もし志々雄が消息不明か生死不明というラストになったら、ぜひやってみたい残虐非道な志々×剣ネタを思いつき、医学的な裏づけをとるためベテラン看護婦の〈H〉ちゃんに電話したことがあった。
「ねえねえHちゃん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
『なーに?』
「あのさー、人間の体ってさー、手足の腱(けん)を切ったら外見も変わるの?」
『ええっ? 腱?』
彼女が言うには腱が切れると筋が縮まって上部に引っ張られるため、筋肉の形がイビツに膨らむのだそうだ。もちろん動かすことはできなくなる。そのさい神経もいっしょに切断されると無感覚になるが、神経だけでも残れば、動かすことはできなくても、ちゃんと感覚はあるらしい。
『でもね、切れたらすぐに手術して繋げちゃうから、そのまま放っといたらどうなるかなんてわからないよ』
やはりパンピーなHちゃんのこと、現代医学の、それも治療するための技術を学んでいる彼女にとって、明治時代の医療事情など門外に等しい。だが専門書を書くワケでなし、小説の背景としてなら、ここいらでも十分な収穫である。
「じゃあさ、舌を切り落としたら残りの部分が咽につまって窒息死するっていうのはホント?」
『あたしは脳外科だから、そういうのは耳鼻咽喉科のTちゃんに訊いてみたらイイと思うよ』
お説ごもっとも。なので今度は〈T〉ちゃんに電話してみる。
『舌を切断したら、ですか?』
そういえば、そんな俗説がありますよねえ、と彼女は言い、ドクターに聞いておきますと言ってくれた。
後日に彼女から電話があり、それによると舌というものは表面に出ている部分より体内に隠れている部分の方が大きく、またその大部分が食道にくっついているので、切断したとしても縮まって気道をふさぐことはないのだという。
ではなぜ時代劇などで舌をかんで自害するシーンがまかり通っているかというと、舌を噛み切った場合、一気に大量出血するので、おそらくはそれが咽、あるいは肺につまって、いわゆる溺死のような状態になるらしい。もっとも、これもやはり治療するのが目的の、しかもレーザーメスやドレーンを駆使する現代の医師たちには、胸を張って「これが正解だ」とは答えられなかったと彼女はつけくわえた。そらそうよねえ。人体実験するワケにはいかないもの。
さて。そんなこんなで(おおまかな)医学的裏づけや時代考証などバックグラウンドを固め、ワクワクしながら原作の展開を見守っていたらば、悲しいことに志々雄サマはキッチリお亡くなりになってしまい、この話は空中分解の憂き目にあってしまった。
せっかくあれこれと手間ヒマかけたしお蔵入りにするにはチョット惜しいネタなので、いつか装いも新たにリニューアルさせるつもりでいるのだが、かーなーりークサくて長くてアブナい話になるから作者の気力体力が続くかどうか不安ではある。
オトナの会話
作家の友人〈R〉さんとは三日とあけずに長電話をしまくる仲である。もともとオリジナル作家だったRさんは、ある日ウッカリ蒼紫激ラヴに転んでしまったというヒトなんであるが、毎回毎回、彼女の電話機の子機を充電不足でピーピー(ヒーヒーではない)鳴かせてしまうくらいに話し込んでしまう。もし彼女の電話機がコードレスでなかったら際限のない長話になってしまうこと受け合いなのだ。よくもまあ話のタネがつきないものだと我ながら感心してしまうが、それはもちろん彼女自身が話題の豊富な知識人であるからにほかならない。
「斎×剣で刺青ネタやりたいんですよ」
と、今日も今日とてそーゆー話題を投げかけると、
『ああ、刺青ってエロティックですよねえ。とくに剣心は色が皙いから、きっと映えるでしょう』
とスマートなお答え。
「そうなんです。それでね、最初は剣心の、……こう、下半身の、腰のあたりから大腿にかけて、龍か蛇かをまきつけたら悩ましいかなあ、と思っていたんです。それなら肩脱ぎになったくらいじゃ傍目(はため)にわからないから実生活にも支障はないし。……でもね、それだと×ってる最中に斎藤さん、見られないじゃナイですか」
『それもそうですね』
「で、やっぱり背中かな、と」
『目立ちませんか? 薫とか弥彦とか、ほかのひとに知られたら大変でしょう』
「ソコはソレ。おしろい彫りにするんですよ」
『ああ、化粧彫りともいいますね。でも実在はしないという話ですよ』
「へっ? そうなんですか?」
諸説あるが、水あるいは肌色に近い絵の具で彫り、肌が上気したときのみ白く浮かび上がってくる刺青のことを〈おしろい彫り〉または〈化粧彫り〉という。物語の世界では、わりとポピュラーでよく聞かれる彫り物なのだが、Rさんが以前に読んだ、ある有名な彫り師の自伝では実在しない技法だと書いてあったのだそうだ。
「はあー。ま、フィクションですし物語上、必要なウソということで……」
『たしかに、その最中に浮かび上がってきたら綺麗でしょうね』
「はあ〜い、そうなんですぅ〜。あのですねー、斎藤さんが後ろから剣心に××てるときにですね〜」
『××てるときですか?』
ここで彼女は爆笑した。大爆笑である。
『ものすごくわかりやすい表現ですね』
爆笑のあいまにRさんは言う。わたしの露骨な性的表現に眉をひそめることのない貴重な人のうちの一人なのだ。おかげで、いきおい会話には伏せ字だらけのキワドイ単語が盛大に飛び交うことになる。
これ以上公表できないのは、ひどく残念なことである。
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