漢字ってムズカシイ
わたしは、ずいぶん長いあいだ『夜着』の読みかたは『やぎ』だと思っていた。だってだって『夜具』は『やぐ』だし、『夜話』は『やわ』だし……。
ところが先日なにげに国語辞典をながめていたらばおおおおおおおおおっ! なんと『よぎ』と書いてあるではないかっ! いや〜、いままで出した本の中で『夜着』にルビふってなくてヨカッタ。
こんなことはままある。『黎明』では『修道』を『しゅうどう』と思い込んでいて、あまつさえルビまで堂々と振ってしまったが、あれは『しゅどう』が正解なのだ。『暁闇』のときには漢字とひらがなのバランスを取るため、なんの疑問ももたずに『二心』を『ふたつ心』と書き、「そういやホントにそーゆー読み方するっけ?」と辞書を開いて、じつは『ふたごころ』だったということを本ができてから知った。
それにしても漢字は難しい。完全に理解して使っているものより、うろ覚えで誤ったまま使用している場合のほうが現実には多いのではなかろうか。最近では用心深くなって、あやしげな単語は徹底的に辞書で調べ、いまひとつ自信のない文字はできるだけ使わないようにし、また確実でないフリガナは打たないように心がけてはいるものの、こういった細心の注意にもかかわらず、些細な隙間へ滑り込むかのごとく、誤字、脱字、重複文字は毎回毎回、かならず存在する。しかも、ひとつ見つけたら最後、山のように出てくるわ出てくるわ。まるでゴキブリもかくやと言わんばかりのしつこさなのである。
しかし、ソレもコレも、けっきょくは自分のボキャブラリーのなさや無教養さ、早とちり等による迂闊さが原因であり自身の教養を高めていく以外に、それらを防ぐ手段はない。
いやいや。人間、いくつになっても勉強が必要なんですなあ。
漢字ってウツクシイ
しかし漢字っていうのは美しいものだと思う。花の名前なんて字面(じづら)をながめているだけでウットリしてしまう。曼珠沙花(まんじゅしゃげ)、向日葵(ひまわり)、杜若(かきつばた)、紫陽花(あじさい)、そして女郎花(おみなえし)。金木犀(きんもくせい)や銀木犀、沈丁花(じんちょうげ)も綺麗だ。色の名前もいい。群青(ぐんじょう)、臙脂(えんじ)、鴇色(ときいろ)、鈍色(にびいろ)、琥珀色(こはくいろ)。錆朱色(さびしゅいろ)や古代紫(こだいむらさき)など文字そのものに風雅(ふうが)な趣(おもむき)がある。
『夢十夜・卒塔婆小町』で「甕覗き(かめのぞき)の色」という表現を使ったことがある。藍染めの、あるかないかの淡い空色のことで、水をいっぱいに張った大きな水甕を覗き込んだとき、ほんのり水面に映るであろう空の色を表している。これなど古代の日本人の色彩に対する繊細さを如実に物語るネーミングだといえるだろう。
布の種類も雅やかだ。天鵞絨(びろうど)、縮緬(ちりめん)、綸子(りんず)、緞子(どんす)。あ、そうそう。羅紗(らしゃ)というのもある。斎藤さんの官服は羅紗らしい。肌ざわりまで想像できそうな字面ではないか。う〜ん、イイなあ。
以前、宝石店に勤めていたことがあるが、じつは宝石にもこと細かに和名があるのをそのとき知った。ダイヤモンドは金剛石(こんごうせき)。エメラルドは翠玉(すいぎょく)。サファイヤとルビーは青玉、紅玉(せいぎょく、こうぎょく)。ガーネットは柘榴石(ざくろいし)。キャッツアイ、タイガーアイは猫目石と虎目石(ねこめいし、とらめいし)。漢字で書くと、なんだか見たことのない石のようだ。瑠璃(るり/黄金色の細かい点が入った紺色の石。ラピスラズリ)や玻璃(はり/水晶のこと)、螺鈿(漆器などの表面に真珠色の光沢を放つ貝殻の薄片を文様に切り取りはめこんだもの)等も、実物の美々しさをよりよく表現していると思う。
ことほどさように美しい言葉の文化を持った国でありながら、悲しいことに年々漢字が簡略化されていき、なんとなればすぐにカタカナがあてられるようになった。漢字フリークのわたしには、これは悲しい。せめて自分の小説に、こまごまと漢字をつづることで、ささやかな満足を得るのみである。
漢字ってイヤラシイ
ところで漢字ってヤラシイと思うのはわたしだけだろうか? いや、もちろん、どれもこれもというワケではないが、たとえば『嬲(なぶ)る』。これなんてもう文字を見ているだけでミョ〜な妄想が湧きまくってしまうし、『撓(しな)う』『撓(たわ)む』とくればホレ、その、なんだ、そーゆーシーンが浮かんでくるし(もちろん絵は剣心で)、きわめつけは『凌辱(りょうじょく)』で、そらもう剣心をうはははははははははははははははははははっ!!
おっと。ついつい、とんでもないコトを考えてしまった。困ったもんだ。
漢字ではないが、『うっとり』『しっとり』『ふわり』にも弱い。個人的には湿り気のある柔らかな表現が好きなのだ。これは、おそらく「KUMAちゃんって、石を割ったような(竹ではない)女だね」と六歳年下の姪に言わしめた堅ばった性格ゆえに、ぎゃくに、なよやかで優しげな風情が好ましく思える、ということなのだろう。
情愛を表す単語にも、アンテナは敏感に反応する。『情火』『情炎』は、いずれも火のように激しい欲情をさす言葉であり、これが『愛染(あいぜん)』『眷恋(けんれん)』ともなると、身悶えるほど狂おしい恋情や煩悩ということで、読んでいるわたしまで、いっしょに身悶えてしまう。『艶然(えんぜん)』『妖艶(ようえん)』『艶麗(えんれい)』『悩ましい』『なまめかしい』、関係ないが『血腥(ちなまぐさ)い』にも、そこはかとなく艶(つや)めいた響きを感じる。
そういや以前、二十年来のつきあいの親友Mに、
「オタキ(学生時代からの友人はそう呼ぶ)のトコのワープロって、イカガワしい文字が山ほど単語登録されているんじゃない?」
と図星をさされて非常に痛い目を見たことがあった。
お恥ずかしいことに、その通りなのだよ。わははははははははははははははははははははははははははっ!!
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