KUMAちゃんの幸せ  【六】


うれしハズかし誤変換


 ソレは忘れもしない斎×剣オンリーイベントでの出来事。前日は斎×剣仲間のさんのお家へお泊りし、当日、彼女と揃って意気揚々とサークル入場したときのことでございます。

 わたくしのスペースは窓を背にした窓ぎわ、彼女は通路を隔てて向かい合う列の斜め前という配置でございましたが、ふと彼女のほうへ目をやると、目にも彩な剣心のコスプレをしていた彼女は、先程わたくしが差し入れた一本の缶ジュースを同スペースに着いておられるご友人(しかも美人な斎藤さん)と、仲良く飲みっこされているではございませんか。

 嗚呼嗚呼何と羨ましい間接キッス…もとい、ああああああアタシってば彼女に相方サンがいたとゆーのをウッカリ失念しててケチくさいコトにジュースを一本しか渡してなかったんだわああああぁーっ! と心の中で絶叫したのでございます。

 わたくしの熱い視線に気づいたのでございましょうか、ちょうど彼女がこちらを振り向き視線が合いましたので、身振りをまじえて「ゴメンねー、気が利かなくて。二人いたんだから二本、差し入れしなけりゃいけなかったのにねー」と申したのですが、あいにく周囲の喧騒に紛れて彼女には伝わらなかった様子。

 ならば、と指を二本かざしつつ再度、身振り手振りで伝えようとしたところ、彼女の反応はといえば、その白い指を優雅に二本立てながら「は? 二本挿し?」

 ぎゃーぎゃーちがうっ! ちがうのよっっ!! Aさんっっっ!!!

 あせったわたくしは、おろかにも三たび同じ動作を繰り返し、彼女もまた同じ反応を繰り返したのでございます。

 そのときでございました。わたくしのとなりのスペースにおられたMさんが、すかさず「朝っぱらからナンて恥ずかしい会話をしているんですか」と一喝されたのでございます。

 『二本・差し入れ』→『二本(だからナニを? なんて聞かないように)挿し入れ』とゆー恥ずかしー恥ずかしー『誤変換』の顛末でございました。





来た・観た・買った


 ときおり「どんな本を読んでおられるのですか?」とか「どんな映画を観ておられるのですか?」と訊かれることがある。胸を張って答えられるほど大した量はこなしてナイのだが、小説なら乱歩、横溝、筒井康隆は外せないし、映画ならSFとホラーが主であろうか。とはいえ、どちらかというと、もともと無節操で見境がない上に、系統立てて読むなどとゆー論理的な頭も持っていないので、『手に入るものを手当たりしだい』というのが正直なところかもしれない。

 もちろん資料としてドキュメンタリーや専門書なども読む。『夢十夜・暗流』で何の疑問も持たずに傷口を消毒するシーンを書いてしまい、さて後日、斎×剣仲間のさんと、その当時『消毒』という医療行為が確立されていたかどうかという話になり、あわてて図書館で調べまくったことがある。結果からいえば「たぶんダイジョーブ」だったのだが、アレは本当にいい勉強になった。知っていてつくウソならいいけれど、知らずについたウソは恥さらしにしかならない。

 読書やヴィデオ鑑賞が生活に深く根づいているわたしにとって、仕事が殺人的に忙しく、本屋にもレンタルヴィデオ屋にも行くヒマがナイ(たとえ行けたとしても観たり読んだりするヒマがナイ)一年間は、非常に辛く寂しいものだった。

 その反動だったのだろうか。失業するが早いか早々に、しかも久々に、そーゆー場所へ顔を出してみれば、コレが何とまぁアナタ、スゴイことになっているではありませぬか。見たことのナイモノや知らないモノばかりで気分はもう浦島太郎。

 もっとも利点もあった。ヴィデオでは『ER』や『−ファイル』『ミレニアム』そしてナゼか『名探偵コナン』などの長いシリーズ物を一気にまとめて観ることができたからだ。とくに『−ファイル』はカナダ出身の監督にありがちなツジツマの曖昧さや、コレって監督さんにもワケ分かんなくなってんじゃねーの? と思える複雑な展開(そういや『ツイン・ピークス』もそうだったなぁ。その気色悪さがまたヨカッタりするんだけど)のせいで話の前後が理解しにくく、新作が出るのを待ってブツ切りで観るより、一気に連続で観たほうが何倍も楽しめたのである。

 そんな状態が嬉しくて、夏からこっち、仕事のない日は、ついついヴィデオ鑑賞と読書三昧の日々が続いている。うーんうーん、なんか書けよアタシ…。





『悪趣味』とは『悪趣味』という名の『趣味』です


 ソレはソウと、読書三昧をしているうちに、とんでもない本(とゆーか作家)と出会ってしまった。なにがとんでもないかというと、級ホラー、スプラッタ、腐乱ゾンビにカニバリズム、拷問惨殺快楽殺人と(あ、申し上げておきますが、作り物だから好きなんです。リアルはパスです。フィクションに限ります)、およそスカトロジー以外なら、かなりエグい表現でもダイジョーブのこのわたしをして、ビックリ仰天、感嘆のため息をつかせた小説があったのだ。御存知のむきもおられようが、和製クライヴ・バーカーと呼ばれる友成純一さんの諸作品である。

 クライヴ・バーカーやスプラッタ作品が好きだ好きだと言いながら、しかし、そーゆー作家が日本にいたのをつい最近まで知らなかったことで不勉強のそしりも免れないが、とにかくスゴイ。どんっくらいスゴイかというと、血わき肉おどり肉汁と内臓と脳髄と精液と昨日食べた腸の内容物が鼻先で炸裂するっちゅーくらいの凄まじさである。読んでいるうちに臭いまで漂ってくるような気がした、といえば、すこしはお分かりいただけるだろうか。もちろん、その臭いとは腐臭に他ならない。

 ストーリィ自体は、さほど複雑ではない。現実的でもなく、かといって何か暗喩があるワケでもない。しかしその凄絶な残虐シーンは、なかば喜劇的なほどカリカチュアライズされていながら、妙に生々しくリアルでさえある。そして不思議なことにセックスやレイプのシーンにはグロテスクさしか感じられないのに対して、惨殺へと続く残虐シーンは濃厚すぎるほどのエロティシズムに彩られている。ウソだと思う人は読んでみればよろしい。とちゅうで本を閉じることなく、最後まで友成ワールドを楽しめたなら、あなたも立派な『悪趣味』人である。

 そういや以前、ウチへ遊びに来ていた腐れ縁の悪友が、本棚にズラリと並ぶ本の背表紙をながめつつ「恥ずかしい本棚」だの「怖ろしい本棚」だのと遠慮会釈なくのたまったことがある。とうぜん自覚はあったものの、自分の悪趣味さをつくづく感じた一瞬だった。ああ悪かったな。どうせ悪趣味だよ。

 もっとも本の背表紙を見ただけで中身が分かるあたり、彼女も、かなりの悪趣味と言わねばなるまい。やはり類友なのであろう。

 

 

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