〈月下の紅薔薇館〉さんに寄稿させていただいた小説です。


Engross

 

「…ここは?」

 遊戯の質問には答えずに、海馬は部屋のドアを開いた。ドアの向こうには小さなダイニング・キッチンがあり、その突きあたりに奥の部屋へと続くドアがある。

 うながされて遊戯は室内へと入った。つぎの部屋へのドアを開けると、そこは十畳ほどの洋室になっていて、部屋の片隅には大きなベッドが置かれていた。

 学生街に建つ、学生向けのウィークリー・マンションの一室。ベッドだけが不似合いに豪勢ではあるものの、そのほかの家具調度には何の変哲もなければ瀟洒さもない。ある意味、もっとも海馬に似つかわしくない場所である。学校の授業が終わって帰宅する途中、めずらしくタクシーに乗り込んだ海馬に強引に拾われ、なかば拉致されるようにして、遊戯はここに連れて来られたのだった。

 遊戯は手持ち無沙汰に窓際に歩み寄った。厚いカーテンの隙間から戸外を覗くと、ひっそりと静まり返った往還が眼下に見下ろせた。学生街とあって、暮れかけた街路には、行き交う人影も、まばらに映る。

「ここも、海馬くんの会社がやっているの?」

「いや。仕事とは関係ない。おれのポケットマネーでレンタルしたプライベート・ルームだ」

 とちゅう、コンビニエンスストアに立ち寄って買い込んだ缶ジュースや缶コーヒーの入ったビニール袋を無造作に机の上に投げ出しながら、海馬は答えた。

「よく使うの?」

「使うのは初めてだ。借りを作るのは嫌いだからな」

 たしかに海馬の経済力があれば、わざわざ人が使い古した部屋を借りる必要はない。買い取るなり建て替えるなり、好き放題にできるはずだ。

「会社のヤツは誰も知らない。モクバにも教えていない。車もタクシーで乗りつけた。ここを知っているのは、おれと、おまえだけだ」

 彼は憮然と答えたつもりなのだろうが、ことばの端々には抑えきれない得意さのようなものがひそんでいる。おまえのために借りたんだ。どうだ嬉しいだろう、と言わんばかりの響きがあった。

 もちろん遊戯にも、この部屋に連れ込まれた目的は、はじめから見当がついていた。自分の思い込みだけで突っ走る海馬の激情は、遊戯には手に余ることが多かった。

「だめだよ海馬くん、そんな無駄遣いしちゃあ…」

 つぶやくように言う。

 遊戯の望むと望まざるとにかかわらず、海馬は遊戯のために、さながら湯水のように金を使った。うかつに「あの服カッコイイよね」などと言いながらショーウインドウでも指さそうものなら、翌日には、そのブランドの新作コレクションが山のように自宅へと贈られてくるのだ。海馬には大した出費でなくても、遊戯にとっては過ぎる好意は重荷でしかない。

「気にするな。おれにとっては、ほんの端金だ」

「はした金なんかじゃないよ。学校に来る時間も、遊ぶ時間も、眠る時間まで削って働いてもらってるお金でしょ? それなのに…」

「おまえが!」

 急に海馬は声を荒げた。しかし口調は、尻すぼみに弱くなっていった。

「おまえが…、おれの会社や家だと、おまえが嫌がるから…」

 気を悪くしたのだろう。彼は苛立ったような目で、しばらく遊戯を睨んでいたが、とうとつに目線を床に落とした。

 ───── しまった。

 遊戯は、あわてて海馬のそばに駆け寄り、彼の体に抱きついた。彼の胸に顔をすりつけ、ひと呼吸おいて、その顔を見上げる。海馬はしかし、すっかり拗ねてしまったらしく、そっぽを向いたまま、抱擁を返してこようとはしなかった。

 遊戯としては、できるだけ穏やかに、ふつうに付き合っていきたいと思っているのだが、海馬の心には、思わぬ場所に逆鱗や地雷が点在しており、うかつに図星をさすと、とんでもない不興を買うことになるのだ。

「ごめんね海馬くん。きみが、いつもボクのために、いっぱいお金を使うから…それなのに、ボクには何にも返せないから、なんだか心苦しかったんだ。でも、もう言わないよ」

「遊戯」

 懐柔策は成功したようで、海馬の手が、ためらいがちに遊戯の背に回され、ついで、しっかりと抱きしめられた。手のかかる恋人の口づけを、遊戯は素直に受け入れた。







 フットライトを残して、ほかの照明を落とした室内は、ほのぐらい薄明かりにつつまれている。やわらかなオレンジ色の光は、ベッドの上にもかすかに届いて、海馬の腕が動くたびに、彼の筋肉の動きを浮かび上がらせている。

 海馬のやりかたは、いつも性急だった。まるで、そうしなければ遊戯が腕の中から逃げ去ってしまうとでも思っているかのように、焦りすら感じさせる性急さだった。そのため遊戯は、いまだ海馬との行為に慣れることができなかった。ときには快感らしき感覚が揺らめくこともあるものの、強引に押し込まれる熱い楔は、いまのところ遊戯に苦痛をあたえる以外の役目を果たしてはいなかった。

「痛……ぅ」

「力を抜け」

「抜いてる、くぅ…っ」

 限界まで左右に押し広げられた脚が引きつり、ふるふると小刻みに震える。強烈な異物感に内臓が押し上げられるような不安がつきあげてくる。かわいた粘膜をこじあけ、こすりあげられる苦痛で、たまらず顎が上がる。いつのまにか溢れた涙が、こめかみに一筋の流れを作った。

 ふと、とうとつに海馬が動きを止めた。今までになかった展開に、遊戯は、おそるおそる目を開いた。遊戯の鼻先に、つらそうに眉をひそめた海馬の顔があった。

「海馬…くん?」

「もう、やめるか?」

「そんな、どうして」

「おまえ、つらそうだ。いつも…」

 彼の目は内心の葛藤を物語るように傷心の色をおびていた。

 海馬は海馬なりに懸命なのだ。それが、はなはだ効率の悪いやりかただったとしても。そして始末の悪いことに、そんな不器用な海馬が遊戯は好きだった。

 遊戯は海馬に向けて両腕を伸ばした。さそわれて身をかがめた海馬の首に腕をまきつけ、耳元でささやく。

「ううん、大丈夫。だから、やめないで」

「遊戯…」

「それとね、海馬くん。ボク逃げないから、もうちょっと、ゆっくり…して」

「嫌じゃないのか?」

「どうして? だってボク、海馬くんのこと大好きだよ」

 いい終えたとたん、骨がきしむほどきつく抱きしめられ、なかばまで穿たれていた楔が、いきおい深く抉り入った。あげかけた小さな悲鳴は海馬の唇で封じられた。歯列をなぞられ、舌をからめとられる激しい口づけに、遊戯は息が詰まりそうになった。

 そのときだった。奇妙な感覚が、とうとつに遊戯の背筋をつらぬいたのは。

 痛みと圧迫感の陰でうごめく得体の知れない疼き。海馬の動きにつれて、しびれるような疼きが下肢をつきあげてくる。遊戯は無意識のうちに海馬の背に指を立て、むさぼるような口づけに応えていた。

 いつもとは違う遊戯の反応に気づいたのか、海馬は不審げに身を起こそうとした。海馬の動きに下肢が揺すられ、遊戯は思わず声をあげた。

「あ…、海馬くん、離れないで」

「遊戯?」

「お願い、ゆっくり…動いて」

「こう、か?」

「んぅ…」

「いいのか?」

「わかん、ない。でも…」

 体の奥のどこかで、なにかが弾けようと待ち構えている。むず痒いような、くすぐったいような奇妙な感覚がある。このまま続けられたら、自分がどうなるか分からない。けれど遊戯は、恐怖を覚えながらも、いきつくところまで行ってしまいたい衝動に駆られた。

「海馬くん、やめないで。もっと、…あっ」

 いきなり深みを抉られ、抑えようのない嬌声がほとばしった。あわてて口を押さえようとした手は、海馬の指に絡め取られてしまった。

「声、きかせろ」

「や、…だって、恥ずかし…」

「いいから声を出せ」

「いや……い、やぁ…、あ、あぁ」

 両手をベッドに押しつけられ、拘束された形で抽送が再開された。奥まで開かれ、退かれては、また穿たれる。あえぎを縫って貪るような口づけがあたえられ、爆発寸前の何かが頂点に向かって煽り立てられていく。

「くぅっ、…あ、あっ、…んん、海馬くん、ボク、ボクもう…」

 ふいに下肢から背筋を閃光がつらぬき、衝撃で遊戯の背筋は弓なりに撓んだ。海馬の指をきつく握り締めながら、遊戯は初めて絶頂に達した。







「どうした。まだ足りないか」

 さざ波のように熱気が退くが早いか、海馬に背を向けて狸寝入りを決め込んでいた遊戯に海馬は訊いた。遊戯にしてみれば、つねにない狂態をさらしてしまった恥じらいで、海馬の顔をまともに見られない心境だったのだが、どうやら彼には、その手は通用しないようだった。

「そんなんじゃないよ。…恥ずかしいだけ」

「なにが?」

「だってボク、あんなに……その……大きな声が出るなんて思わなくて。となりの人に聞かれたかもしれないって思うと、すごく恥ずかしくて…」

 遊戯の返事に気をよくしたのか、海馬は遊戯の肩に手をかけ、肩口にキスをしながら言った。

「心配するな」

 得意そうに唇の端を上げる。

「ここと上下の全フロアは、おれの貸し切りだ」

 

 

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