電気仕掛けの竜は 夢寐(むび)に故郷を見る  二

 

 先にエドワードに湯を使わせて、そのあとで自分も入った。寝室に戻ると、彼はバスローブ姿でベッドに入り、スタンドの灯りを頼りに、ここでも本を読んでいた。

「もう休みなさい」

 本を取り上げると、文句を言いながら取り戻そうとする。もっとも抵抗は、さほどなかった。義肢を外していたため、左手だけを軽くベッドに押さえつけると、彼は大人しくなった。

 額に、頬に、そして唇にキスを落とす。初めてキスをしたときと同じように彼は歯を食いしばった。

「…どうして、そんなに歯を食いしばるのかな?」

「………は?」

「自覚がなかったのか」

「あ、…ああ」

「脱力の最初の一歩は、まず舌の力を抜くことからだ。きみは歯を食いしばる癖があるから力が抜けないのだね」

「そうなのか?」

「そうだよ。舌の力を抜いてごらん」

「こう……?」

「もっとだよ」

「……………こう?」

「…………仕方ないな」

 ラングは指先で、エドワードの頬をくすぐるように撫でた。

「あ………」

 彼は切なげに目を閉じた。左手がラングの背に、そっと回される。唇を重ね、舌を忍ばせると、迎え入れるように顎がゆるんだ。そのまま深く口づける。舌で口中を探ると、彼の手が小刻みにラングの背を掻いた。

「上手にできたね」

「う…ん」

 彼は目を閉じて陶然としている。ラングはエドワードを抱きしめ、彼の首筋に顔をうずめた。彼からは、ほのかに湯の匂いがした。バスローブの襟から手を差し入れ、素肌に触れ、指の辿った軌跡に口づける。ときおり歯を立てると、彼の身体にさざ波が走った。

「…あぁ」

 吐息が濡れ、甘いあえぎが上がる。それが抑えられたものであればあるほど昏い熱情が煽られていく。

 奇妙に胸が騒ぐ。溺れそうだとラングは思う。






 うつぶせの背中を見下ろし、肩甲骨の形を確かめるように撫で上げると、水底でうねる魚さながらに、背骨を含んで背筋が撓る。皙い背中には、けれど幾つもの傷痕が残っており、肌が上気するほどに、なお白く鮮やかに浮き上がった。

 ──── なぜ、こんなに怪我を?

 この若さで、どれほど命のやり取りをしてきたのか。

 傷痕をそっとなぞると、泣くような声が上がった。つながった箇所が切なく収縮する。

「マブゼ…もう…もう苦しい」

 何度か絶頂をやりすごして焦らしていたが、二人とも、そろそろ限界だろう。ラングはエドワードを強く抱きしめ、肩越しに唇をふさいだ。

「苦しい……助けて」

 貪るような口づけに彼は息を求めてあえぎ、あえぎながら頂点を越えた。






「あんたは悪夢を見ないのか?」

 ラングの胸に頭を乗せたまま、エドワードは尋ねた。

「悪夢ね。見るよ。そうだな、一番の悪夢は、それが悪夢だという記憶があるのに、かんじんの内容が思い出せない夢かな」

「気色悪そうだ」

「まあね。きみの悪夢は?」

「幸せな日常の夢」

「それが悪夢?」

「両親がいて、オレがいて、弟もいて、友だちも仲間もいて、みんなで幸せそうに、楽しそうに笑ってるんだ。シュチュエーションはいろいろでさ、ピクニックしてたり、誰かのバースデーパーティーだったり。そうかと思えば、何の変哲もない普段の日常だったり。でも過去にも、現在にも、未来にも、けっしてありえなかったし、叶うことのない夢だ」

「夢の中で、とても幸せなのだね」

 彼がソファで転寝をしていたときに見た表情を思い出す。

「ああ。馬鹿みたいに幸せなんだ。それで目醒めたときに、ひどく嫌な気分になる」

 不幸に傷ついた者は、幸せにも傷つくのだ。

 ラングには何もかも忘れて打ち込めるものがあった。虚構を、夢を現実に作り上げる『映画』という手段があった。もし自分が ──── もし自分が映画のない世界へ落とされたとしたら、どう感じるだろうか。エドワードが味わったのは、そういう絶望なのだろうと思う。

「どうしたら、きみは幸せになる?」

「……分かんねぇ」

「故郷に帰ったら幸せになれるのかな?」

「どうせ帰る家なんて、ないんだ。それに……オレが帰りたかったのは、最後の練成が成功したか失敗したかを知りたかったからだ。弟が身体を取り戻したことが分かったから、もう、いいんだ」

 かすかに笑みを浮かべて彼は言った。自嘲気味な笑みだった。

 叶わなかった幾つもの願い。

 果たされることのなかった幾つもの約束。

 何もかもを置き去りにして、彼は、ここに来たのだ。

 彼にとっては、この世界こそが、目醒めることのない悪夢なのかもしれない。

 ラングは上掛けを引き上げ、エドワードの肩を包んだ。この青年の裡へ悪夢が忍び込まないようにと願いながら、抱く腕に力を込める。

「それで……いいんだ」

 うわごとのように、彼はつぶやいた。


 

 

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