電気仕掛けの竜は 暁(あかつき)に愛をささやく  二

 

 サイドテーブルの上のスタンドの明かりが、ぼんやりと室内を照らしている。ほのかな明るみの中で、エドワードが左手を天井に向けて伸ばしたのが見えた。

「あんたを抱きしめたいのに、オレには…腕が足りないんだなぁって思う」

 ラングは同じく天井に向けて腕を伸ばした。エドワードの手をとって指を絡める。小柄なエドワードの手は、やはり一回り小さく、ラングの手の中にほぼ収まってしまう。

「では、足りない分をわたしが抱きしめよう」

 絡めた指をひきよせ、指先にキスをする。

「…よく、そんなことが真顔で言えるよな」

 エドワードは乱暴な口調で言った。照れているのが分かる。

「映画人のロマンティシズムを理解しろとは言わないがね、きみも、そうとうなロマンティストだと思うぞ」

 自分のほうが、よほど甘い言葉を吐いているという自覚は、どうやら彼にはないらしい。鼻で笑いながら言うラングをエドワードは睨みつけた。

「なに言ってんだか。錬金術師は現実主義で合理主義だ。夢想家にそんなこと言われたかねぇな」

 エドワードは勢いよくベッドから起き上がった。そのままベッドから降り立ち、脱ぎ散らかされた部屋着を拾って身に着け始める。黙って見ていると、ふいに彼は小さく声を上げた。

「どうした?」

 身を起こして尋ねるラングに、エドワードは右手を差し出した。彼の右手を見ると、機械鎧の指の可動部に黒い髪の毛が何本か絡みついていた。最中は夢中で気づかなかったが、髪をまさぐられているときに抜けたらしい。取り去ろうとすると、思ったより複雑に絡みついていて、容易には除去できなかった。

 絡みついた髪の毛を一本一本、丁寧に解きほぐしていると、エドワードは大きく息をついた。

「痛いのかな?」

「ううん。感触は分かるけど、痛感はないんだ。あんたこそ痛くなかったか?」

「いや、ぜんぜん感じなかったよ。もともと抜けていたのかもしれないね」

「そっか…」

 エドワードをベッドに座らせ、明かりのほうへ手を差し向けた。黙々と毛髪の除去に取りかかっていると、彼は押し殺した声で言った。

「あのさ……オレ、あんたに言いたいことがあるんだ」

「なんだね」

「あんたは、オレを大事にしてくれた。まるで恋人同士みたいだって思った。オレを信じてくれて、オレを認めてくれた。あんたと会ってから、オレは、いろんなことに気づくようになった。オレは今までも、たくさんの人たちに大事にされてた。それに気づかなかっただけで、オレは親父にも、仲間たちにも、友だちからも、愛されてたんだって分かったんだ」

 パズルを解くように、髪のもつれをほぐしていたラングは、はじめはうわの空で聞いていたが、次第に彼の言葉に聴き入ることになった。手の作業が、すこし緩慢になる。

「あっちの世界には、オレの帰りを待っててくれる人がいた。弟も、大佐も、幼なじみの機械鎧技師なんか、二年も会ってなくて、身長だって変わってるのに、オレに合う機械鎧を用意して待っててくれてた。……故郷ってさ、待ってる人がいる場所なんじゃないかと思ったんだ。だったら、あっちにも、こっちにも、オレの帰りを待ってくれる人がいる。どちらもオレの故郷で、どちらも大事だ。……だから、帰ってきたんだ」

 いつのまにか手は止まり、ラングはエドワードの手を握ったまま、彼の次の言葉を待っていた。

「オレ…………あんたを好きみたいだ」

 絞るような声音で彼は言った。

「それは嬉しい言葉だが……そんな永の別れのようなことを口にするのは、なにか意味があるのかな?」

 しばらくエドワードは黙り込んだ。ラングは辛抱強く待った。胸の鼓動が何度打ったのか分からなくなるころに、ようやく彼は口を開いた。

「ウラニウム爆弾を探しに行くよ」

 見上げた彼の瞳には、強い光が宿っていた。

「そうか」

 自分らしく生きることだけが人を輝かせる。生きている気がしないと叫び、悪夢に捕らわれていた彼が、やっと、つぎの生きる目的を見つけたのだ。ラングには止められない。いや、誰も彼を止めることはできないだろう。

「では、わたしは、きみの帰る家を作ろう。きみの帰りを待つ人がいる場所が故郷だというなら、わたしも、きみの故郷になろう。いつでも帰っておいで」

 指先で頬を撫でながら言う。彼は言わなかったが、こうされるのが好きなことを知っている。手のひらで頬を包むと、彼は耐えかねたように目を閉じた。あふれた涙がこぼれ、頬に一筋の流れを作った。






 翌朝、エドワードは弟の前では何ごともなかったかのように振る舞った。朝食の席で、彼は旅に出る話を始めた。弟とは、もう何度も話し合って決めたことのようだった。ラングもまた彼に倣い、初めて話を聞く風を装った。ウラニウム爆弾に関することは、ほとんど知らなかった。トゥーレ協会やナチ党内の知人の名と連絡方法を二人に教える以上に、ラングにできることは、なにもなかった。

 ラングは家を出る二人を玄関先で見送った。

 ──── もう、会えないかもしれない。

 昏い予感がラングの裡をよぎる。

 このまま彼を行かせていいのか。どんな危険が待ち構えているか分からない旅路へと。

 あの義肢をもぎ取り、嵐を避け、誰も知らない安全な場所へ彼を閉じ込めてしまいたいと思う。けれど、それは彼の望む幸せではないとも分かっている。

 そのときだった。弟と二言三言交わし、先に行かせると、ふいにエドワードは振り返った。心のうちを読まれたような気がしてラングはたじろいだが、彼は迷いなく駆けてくる。彼の目は真っ直ぐにラングを捕らえていた。

 ──── ああ、この目だ。

 初めて出会った瞬間にラングを虜にした金色の瞳。

 その瞳がラングを射抜く。

 息を詰めて待つラングの腕の中にエドワードが飛び込んできた。

 彼は何も言わなかった。ただ黙ってラングを強く抱きしめた。

 ラングもまた、同じ強さで彼を抱きしめた。

 どのくらいそうしていたのか、やがて彼は、飛び込んできたときと同じように、唐突に腕を解いて身を翻した。そのあとは一度も振り返らずに走り去って行った。

 エドワードの姿が消えた街路をぼんやり眺めながら、沈んでもいられないな、とラングは思う。故郷を作ると彼に約束した。ラングにできるのは、夢を語り続けることだけだ。

 長い長い、終わりのない夢を。


 

 

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