『電気仕掛けの竜』シリーズの続編です。
エドが十年で一つくらい年を取るという設定になっています。
前シリーズより三十五年後の西ドイツが舞台です。
設定が、これでもかとゆーぐらいにご都合です。
そーゆーの、苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
白銀の魔術師は 黄昏に微笑する 一
朝食を終わって、食後のお茶を飲みながら新聞を読んでいたエドワードの目は、その片隅に載っていた記事へと釘付けになった。 「兄さん、どうしたの?」 エドワードの常にない様子を訝しんだのか、アルフォンスが食事の手を止めて覗き込んできた。彼は数年前に声変わりが始まって、最近ようやく声質が落ち着いてきたばかりだった。 エドワードは何も言わずに新聞をアルフォンスに手渡した。彼が記事を目で追っているあいだに、しばらく流れることのなかった涙が頬を伝う。新聞の記事には『フリッツ・ラング監督が古い自作の映画である《ドクトル・マブゼ》のリメイクを手がけている』との記述があったのだ。 「このひと、あのときの映画監督さんだね」 「ああ」 「もう幾つになるんだろう。あれから……ええっと、もう三十年以上だから、ずいぶんになるね。ぼくたちは、あまり変わってないけど」 門の向こう側から来た者だからか、あるいは父親の血によるものか、エドワードとアルフォンスの二人は、どうやら、こちら側の人間と、歳の取り方が違うようだった。実際には五十歳が近いはずなのに、肉体年齢は十六歳くらいにしか見えない弟は、指を折って年数を数えはじめた。 エドワードもまた、現実には五十を超えているのに、外見は、その当時から、ほとんど変わっていない。事情を知る医師に、数年前に調べてもらったところでは、二人は、十年で、やっと一年くらい加齢するようだと言われていた。 あの当時、ラングは三十三歳だといっていた。あれからもう三十五年ほど経っている。 「七十が近いと思う」 「会いたいんでしょう? 会いに行っておいでよ」 エドワードは伏せていた顔を上げた。 もちろん会いたい。 だが。 「おれは…………あのひとに……合わせる顔がない」 「でも、会いたいんでしょう? 会えなくなる前に、会っておいでよ。みんなは、ぼくたちほど時間がないんだから」 アルフォンスは哀しそうに笑った。 数日後、エドワードはジュネーヴから西ドイツへと向かった。本来なら煩多な手続きなどに煩わされるところだっただろうが、知己の人物による手配のおかげで、なにごともなく降り立つことができた。手配といえば聞こえはいいが、何のことはない身分証の偽造である。正直に生年月日を記せば、かえって怪しまれることになるからだった。 大戦が終わってからも、エドワードはアルフォンスとともに旅を続けていたが、数年前に知人の科学者からジュネーブの研究所に誘われ、そこに移り住んだ。そこは科学者たちが集まって、ひとつのコミュニティを作っている場所だった。閉鎖的ではあるが、そのぶん安全でもあった。年々実年齢と容姿のずれが広がっていく二人には、世間の好奇の目を避けるために、隠れ住む必要があったのである。 西ベルリンで安宿におさまり、ラングの居所を調べた。新聞社と数人の記者に問い合わせ、情報を集めたところ、驚いたことにラングが撮影中なのはウーファだった。戦後もまだ存続していて、今でも映画の撮影を行っているのだという。 翌日、エドワードはウーファ撮影所にやってきた。前に、ここを訪れたのは、三十年以上前で、しかも大戦前だった。細かいところは変わっているのだろうが、大まかに見た分には、不思議なことに、さほど変化がないように思えた。 撮影所の入り口には守衛が立っていた。約束をしているわけでもないし、予約もしていない。さて何と言ったものかとエドワードが逡巡していると、守衛のほうから声をかけてきた。 「あのぅ……あんたは……?」 「ああ、あの、その、ええと、ラング監督にお会いしたいのですが……」 「あんたの名は……ひょっとして…………………エルリック?」 「あ、はい。エドワード・エルリックといいますが」 「エドワード・エルリック!? 驚いた。ほんとにいたんだな」 守衛の男は大仰に手を振り上げたり下ろしたりしている。何のことかと尋ねるより先に、彼はエドワードを柵の中に招き入れた。 「監督は、お待ちかねだよ。もうずっと昔からね」 彼は破顔としか言いようのない笑顔で言った。 守衛から呼び出されてやってきた黒髪の青年はラング・スタッフの一人だと名乗った。彼は撮影所の通路を先導して歩きながら興奮した様子て喋り続けた。 「監督は、ずっと昔から『エドワード、あるいはエルリックと名乗る金髪金眼の人物が自分を訪ねてきたら、どんなときでも、かならず連れてくるか、連絡をしてほしい』と言われていたんです。この撮影所では、みんなが、あなたの名前を知っていますよ、エルリックさん。ほんとうに実在する人物なのか、噂の的でした。まるで『ゴドーを待ちながら』みたいだって。お会いできるなんて光栄です」 「いえ、そんな……」 「監督は、以前も……ハリウッドにいらっしゃったときにも同じことを言われていたと聞いたことがあります。でも、それにしては、あなたはお若いですよね。エルリック氏のお子さんか、お孫さんなのですか?」 「まぁ、そんなところです」 当たり障りのないように答えながら、エドワードは青年について歩いた。だが平静を装いながらも心は激しく揺れていた。 ──── ずっと昔から……だって? まさか、と思う。あれから何十年も経っているのに。 もう忘れられているだろうと思い、忘れられたいと願っていた。同じくらい、忘れないでいて欲しいと思ってもいた。だが、彼が、ずっと自分を待っていたのだと知ると、それが嬉しいのか、それとも苦しいのか、自分でも分からなかった。 いくつものセットや建物を通り過ぎて、倉庫のように大きな建物のドアの前で青年は立ち止まった。彼は静かにドアを開けると、広いスタジオに入っていった。 暗いスタジオの中では、木立ちのセットで演技する女優や俳優がいて、何人ものスタッフが、それぞれの位置に立って撮影を見守っていた。カメラのそばの椅子に白髪頭の老人が座っている。青年は小走りに、その老人に駆け寄り、身をかがめて耳打ちをした。 青年の耳打ちを受けて老人は立ち上がり、ゆっくり振り向いた。エドワードは一瞬ためらい、それから軽く右手を上げた。 「……エド?」 老人はフリッツ・ラングだった。彼は杖をついて椅子から立ち上がり、次の瞬間には杖を手放してエドワードに歩み寄ってきた。以前より少し痩せたように見えるが、相変わらず彫りの深い整った顔立ちで、長身のままだ。 ラングはエドワードの傍まで来ると、両手を広げた。エドワードは彼の腕の中に飛び込んだ。彼の匂いを胸いっぱいに吸い込む。煙草の匂い。愛用のコロンの匂い。彼は変わっていない。全身の細胞が喜びに震えるようだった。 「久しぶりだね。元気そうだ」 「あんたも……」 周囲から波のように拍手が沸き起こった。スタッフたちが嬉しそうに笑いながら手を叩いていた。ラングは片手を上げて拍手に応えた。 「ありがとう。みんなのおかげで『ゴドー』に会えたよ」 どっと笑いが起こる。ああ、このひとは、みんなに愛されて、いい仕事をしてきたのだな、と思う。嬉しいような、切ないような、複雑な気持ちだ。 「もう少し今日の仕事が残っているんだ。待っていてもらえるかな?」 ラングはエドワードの目を覗き込んで言った。モノクルの奥の目が、やさしく光る。 エドワードは頷いた。 |
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