Only love never dies.  5

 




 ふいにバーナビーは目醒めた。明瞭な目醒めだった。起き上がり、ベッドの隣を見る。そこには仕事上のパートナーで友人でもある鏑木虎徹が眠っていた。

 意識は、はっきりしている。長い長い夢を見ていたような気がする。しあわせな、しあわせな夢だった。けれど、本当は夢でなかったことも自覚している。

 虎徹の首には、フットライトの作る薄明かりの中でも認められるほど濃い影があった。影はバーナビーの指の形をしている。自分の手を見る。なんてことをしてしまったんだろう。能力者であることに、初めて畏怖を覚える。

 そして。

 それから。

 ここに来てからの日々をなぞってみる。

 虎徹はバーナビーを拒まなかった。あれだけメチャクチャに暴れたのに、バーナビーは傷一つ負っていない。すべてを虎徹が受け止めてくれたからだ。彼の、これまでの言葉や、行いの一つ一つが、胸にしみるように迫ってくる。

『違うよ、バニー、おまえのせいじゃない。おまえは悪くないんだ』

 彼の声は震えていた。琥珀色の目が潤んでいた。

 ───── そうだ。ぼくは、だれかに、そう言ってほしかったんだ。

 仇討ちは終わった筈なのに、まだ誰かを赦せないでいた。本当に赦せないのは自分自身だったということに気づいたとき、自分を見失ってしまった。ひょっとしたら自分のせいで両親は死んだのではないかという惧れが、いつも、どこかにあったのだろう。頭では、そうではないと分かっていても、心が納得しないのだ。しょせん人間は感情の生き物だからだ。

 けれど今は、いろんなことが、あるべき場所に、きちんと納まったように感じる。

 バーナビーは窓際に寄り、カーテンの隙間から、明けつつある暁闇の空を見た。もう、怖れるものは、なにもなかった。





 翌朝、カーテンの隙間から差し込む陽射しで虎徹は目醒めた。背伸びをしようとして、筋肉の奥に鋭い痛みが潜んでいるのに気づく。昨夜は危なかった。だが、事態は何とか収まった。

 昨夜は、バーナビーが落ち着くまで彼を抱きしめていた。落ち着いてから、彼の手を引いて、廃屋でも、こうまではなるまいと思えるほど荒れた部屋を出ると、自分の寝室で休んだ。壊れ果てたバーナビーの寝室は、そのままだ。メイドのラランジャが出て来てビックリするだろうな。そういえば、あのウサギのぬいぐるみは、無事なのだろうか。

 つらつら考えながら、ベッドの隣を見る。そこにバーナビーは、いなかった。だが窓ぎわに佇む人影を認め、それがバーナビーであることに気づいて、恐る恐る声をかけた。

「ええっと…………お早う」

「お早うございます、おじさん」

「うん……………おじさん?」

 虎徹は、いっぺんに目が醒めてしまった。急いで起き上がる。おじさんと呼ばれて、こんなに嬉しく感じる日がくるなんて。人生って分からない。

「もしかして……戻ったのか?」

「ええ、ご心配をおかけしました」

「お帰り、バニー」

 握手しようとして伸ばした手を、バーナビーは、しっかりと握った。だが痣だらけの虎徹の腕を見て、彼は悲しげに目を細めた。

「……済みませんでした」

「ああ、いいって。こんなの商売がら慣れっこだし」

「でも……」

「気にすんな。むしろ、おれのほうが申し訳ねぇよ。バニーに力負けしそうになるなんてな。おじさんもトシだねぇ」

 バーナビーの手が、虎徹の頬に、そっと触れた。指は頬の輪郭をなぞり、顎までおりて、顎の先を捉え、くいと上向かせた。何も考えていなかった虎徹は、ついうっかりバーナビーの手の導くままに無防備に顔を上げてしまい、彼の思いつめた目と向き合う羽目になった。

 ───── こっ……この体勢って!?

 あとで考えれば、バーナビーは虎徹の首の痣を確認したかったのだろうと思うのだが、そのときには、キスされるとしか思えなかったのだ。

「……親を殴ったような気分なんです」

 思いつめた眼差しそのままに、苦しげに彼は言った。

 虎徹の中で、いろんなものが、音を立ててグラグラ揺れた気がした。なによりも動揺したのは、なんで動揺したのかが分からないことにだった。

「だっ、…だだだっ大丈夫だからっ!」

 バーナビーの手から逃れるため、彼の手を掴んで、全力で顎から引き離した。とたんに全身に痛みの衝撃が走り、虎徹は再びベッドへと倒れこんだ。





 トレーニングルームに入ると、バーナビーが、ほかのメンバーたちと仲良く談笑しているのが目に入った。「お早う」と声をかけると、みなが一斉に振り返り、口々に挨拶を寄こしてきた。バーナビーも笑顔で挨拶をしてきた。輝くような笑顔だった。

 あのあと、記憶を取り戻したバーナビーと市街地へ戻り、いったん例の病院へと運ばれた。バーナビーは、すぐに退院できたが、虎徹は、しばらく入院することとなった。けっこうな重症だったのである。

 それでも快復は早かったし、入院中は毎日バーナビーが見舞いに来て、なにかと気を遣ってくれた。別荘と絵本の破損の賠償は求められなかった。ひそかに胸を撫で下ろしたのは内緒だ。

 例のウサギのぬいぐるみは、瓦礫の中から救い出されて、クリーニングされ、今もバーナビーの寝室にあると聞いた。かなりボロっちくなったそうだから、こんどまた新しいのをプレゼントしてやろうかと思う。

 それから、もうじき二月が経つ。

 バーナビーは、以前より態度がやわらかくなった。ほかの仲間たちとも、徐々に打ち解けるようになった。そういえば、以前は、よく皮肉を言ったり、ちょっとしたことで激昂したりしていたが、このごろは、そんなところも見られなくなっている。

 別荘での彼は可愛かったな、と、ときおり虎徹は思う。元に戻って以来、そんなふうに接したことはないし、彼が子どものように甘えてくることもなかった。それはそれで当たり前なのだが、すこし寂しかったりする。

 彼は、両親を亡くしたときに、泣けなかったのだろう。思い切り悲しむことができれば、どんなに苦しくても、つぎの道に進むことができるのに、それが出来なかった。そこで彼の中の何かが止まってしまっていた。おそらく、部分的に、心の時間が止まってしまったのではないだろうか。

 両親の仇を討って、つぎの一歩を踏み出すために、止まってしまった時計を動かすために、大急ぎで子ども時代をやり直す必要があった。埋めなければならない空白があったのだ。退行の本当の原因は、そんなものだったのではあるまいか。

 そんなバーナビーと接することで、虎徹もまた、止まっていた時計が動き出したようだった。娘に会いに行く回数が、以前より、すこしだけ増えてきていた。

「虎徹さん、スーツの調整の時間ですよ」

 フラットベンチに腰掛けてダンベルを上げていた虎徹に「行きましょう」とバーナビーが手を差し伸べてきた。

 子どもは、いつまでも子どもなわけじゃない。いつかは巣立っていくものだ。

 でも彼とは、相棒として、もう少し付き合っていけそうだ。

 それでいい、と思う。

 虎徹は笑いながら、バーナビーの手を取った。



 

 

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