Only love never dies.  4

 




 深夜。バーナビーの様子が気がかりで眠れずにいた虎徹の耳に、彼の叫び声が聞こえた。「来た!」と思いながら部屋を飛び出して、彼の寝室へと飛び込んだ。

 バーナビーはベッドに起き上がって、両のこぶしを握りしめ、中空を睨んで叫んでいた。

「バニー! どうした!?」

「火が……おとうさんが……おかあさんが……」

 名前を呼び、肩を掴んで揺すってみる。だが彼の目の焦点は合わない。遠い日の残像を眼前に突きつけられ、彼は叫び続ける。

「バニー、夢だよ。悪い夢だ」

「どうして? だって、そこに……火が、そこに」

「見てごらん。どこにも火なんてない」

「じゃあ、おとうさんと、おかあさんは、どこ?」

「ここには、いないよ」

「いつ、かえってくるの? いつ、かえってくるの? いつ、かえってくるの? ねえ、いつ?」

 バーナビーの気迫に押されて、虎徹は答えに詰まった。

 瞬時に、彼の瞳の虹彩が鋭くなった。

「いないんだ。やっぱり、おとうさんと、おかあさんは、かえってこないんだ」

 かつて見たことがないほど、彼の目は吊り上がった。

「おじちゃんの、うそつき! かえってくるっていったくせに」

「バニー」

「うそつき!! こてつおじちゃんなんかきらいだ! だいっきらいだ!!」

 そのときバーナビーの全身が、青白く発光した。





 発光とともにバーナビーの身体が一回り大きくなった。虎徹は、一瞬遅れて能力を発動したが、バーナビーの振るった拳に殴り飛ばされ、後ろの壁に叩きつけられた。あと一秒でも発動が遅かったら、全身粉砕骨折と内臓破裂で即死だっただろう。虎徹の身体が壁に、めり込むほどの、すさまじいパワーだ。

 虎徹を壁に叩きつけたバーナビーは、雄叫びを上げながら、間髪を容れずに虎徹へと突進してきた。

 こぶしが襲う。何発かは腕で防いだが、すべては防ぎきれない。だが手を出すわけにもいかない。

 防御に徹していた虎徹の腕をバーナビーが掴み、壁から引き剥がした。反対側の壁に叩きつけられ、反動で身体が泳いだところへ、彼のハイキックが降ってくる。肩口にバーナビーの踵が落とされた。

「がっ!」

 瞬間的に何トンもの衝撃を受け、虎徹は前のめりに膝をついた。容赦ない蹴りが次々と虎徹に見舞われ、蹴り飛ばされた身体は家具や壁に、いくつもの亀裂を作った。束の間、意識が途切れる。気がついたときには、瓦礫の散乱する床に押さえつけられ、首を絞められていた。

 ───── マズイ。おれヤバイ、超ピンチ。

 もともと腕力も膂力も脚力もバーナビーのほうが虎徹を上回っていた。若さゆえの体力もある。同じハンドレッド・パワーの持ち主なら、もとの能力が勝るほうが強い。基本の能力を掛け算するからだ。

 まして今の彼は青年の、それも鍛え抜かれた格闘家の身体を持ってはいるが、中身は四歳の子どもで、手加減など考えもしないだろう。軽く腕を振り払っただけで、死人の山ができてしまう。殺意もなしに。そして虎徹は相手に怪我をさせないように加減をしなければならない。まともにぶつかって力ずくで押さえ込める相手ではなかった。

 ───── 買い被りすぎだぜアニエス。おれにだって、どうしようもない。

 なにがあっても彼を、この屋敷から一歩も出させるわけにはいかない。だが何ができるというのか。打つ手は他に何もない。虎徹には、一刻も早く五分間が過ぎるのを待つしかなかった。

 バーナビーの手は虎徹の首を掴みしめている。彼の手を首から外そうと、手首を掴んでみたが、びくともしなかった。じわじわと首が絞められていく。万力で締められているようだ。

「バニー、苦しいよバニー。手を……放すんだ」

 彼の手が意外に大きいことに気づいて、虎徹は愕然とする。そういえば、体格でも彼のほうが、わずかだが虎徹を上回っている。このまま縊られてしまうかもしれないと、ちらりと思う。

 必死でバーナビーの手首を掴んでいると、抵抗が面倒だったのか、彼の手が虎徹の手首を掴み直した。そのまま床に縫い止められる。掴まれた手首の骨が、みしみしと鳴る。見上げた彼の目は、昏く冷たい焔で燃えている。

「バニー……」

 正気に戻ってほしい一心で、何度も名を呼んだ。一瞬、彼の手が緩み、瞳に正気が戻りかけたが、つぎの瞬間には、さらに強い力で握りしめられた。

「あああっ」

 あまりの苦痛に、たまらず顎が上がる。だが意識が霞み始めた頃に、とうとつにバーナビーの目から輝きが失せ、手から力が抜けた。能力の発動が終わったのだ。彼は虎徹から手を離し、床に座り込むと、手放しで泣き始めた。

 虎徹は、しばらく動けなかった。呼吸するだけで全身が痛む。

 長い五分間だった。長い長い五分間だった。ヒーローとして出動中には、あっという間の五分間が、これほど長く感じられたことはなかった。

 バーナビーは、声を上げて泣きじゃくっていた。大人なら、けっしてできない全開の泣き方だ。まるで迷子になった小さな子どものようだった。

 傷ましい、と虎徹は思う。手を差し伸べずにはいられない。

「こてつおじちゃん、きらい。だいきらい」

 ようやく泣き疲れてきたのか、バーナビーの泣き方が静まってきた。虎徹は苦心して起き上がり、瓦礫の中からティッシュペーパーの箱を探し出した。埃を払い、ほら、と彼の鼻先に差し出す。

「おじちゃんの、うそつき」

「うん、うん。嘘ついてて、ごめんな、バニー」

「おじちゃんなんか、だいきらいだ」

「そぉ? でも、おじちゃんはバニーが大好きだよ」

 ひゅっとバーナビーは息を呑んだ。ティッシュペーパーを何枚か抜き出し、顔をぬぐって、しばらく虎徹を見つめたあと、抱きついてきた。だが、虎徹が痛みに身じろいでしまうと、すぐに身を離した。

「おじちゃん、いたい?」

 彼は虎徹の首に手を触れた。自分では見えないが、おそらくそこには彼の指のあとが残っているのだろう。

「おじちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい」

 泣きじゃくり、しゃくりあげながらバーナビーは言った。

「大丈夫だよ、バニー。ちっとも痛くないから」

 安心させたくて、笑って見せた。それでも泣き止まないバーナビーをやさしく抱き寄せる。少しの動きでも、骨に響くように痛んだ。押さえつけられ、掴みしめられた腕や手首には、指の形が濃い色の痣になって、はっきり残っている。骨が砕けてしまわなかったのは奇跡に近い。

 泣いて暴れた後遺症か、彼は、すこし体温が高くなっていた。すがりついてくる指の熱さに、胸苦しいほどの愛しさを覚える。

「ホントに? ホントに、いたくない?」

「うん。痛くないよ」

「おじちゃんは、しなない?」

「ああ、死なない。おじちゃんは強いからね」

「よかった」

 バーナビーは虎徹の胸に額をすりつけてきた。

「ぼくの、おとうさんと、おかあさんは、しんだんだね」

 彼は、噛みしめるように言った。

「ぼくが、わるいこだから、おとうさんと、おかあさんは、しんだの?」

 衝撃が虎徹を貫いた。

 かつて同じ言葉を聞いたのだ。

 ───── かえでが、わるいこだから、おかあさんは、しんだの?

 子どもはそう考えるのだ。大人が思うよりも、ずっと繊細で、ずっと色んなことが分かっている。そして何があっても親を責めずに自分を責めるのだ。楓もまた、誰も責めずに、自分を責めていた。なんてことだ。赦されたかったのは、おれのほうだったのに。

 もっとフォローしてやりたかった。でも、できなかった。とても冷静ではいられなかった。妻を喪ったことは、虎徹にとっても、自分を喪うのに等しかったのである。

 目頭が熱くなる。虎徹もまた、妻を喪って、初めて泣けてきたのだった。

「違うよ、バニー、おまえのせいじゃない。おまえは悪くないんだ」

「おじちゃん、ないてる。やっぱり、いたい?」

「うん……うん……ちょっとだけ。でも大丈夫。すぐに治るから」

 虎徹はバーナビーをしっかり抱きしめた。たがいの体温で、たがいの中の何かが溶けていくようだった。

 以前なら、受け止めることができなかった身近な者の『死』を、今なら二人とも受け入れられる気がした。

 そして、きっと次の一歩を踏み出せるだろう。

 二人は、もう一人ではないのだから。




 

 

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