Only love never dies.  3

 




 二人で暮らす日々が一ヶ月を越えた頃に、事態が急変した。

 いつもならバーナビーが絵本を持って部屋に入ってくる筈の時刻を過ぎても、まだ来ない。虎徹は本日の報告をマーベリックにメールし終えると、パソコンの画面を閉じて立ち上がった。バーナビーを探して、他の部屋を覗いてみる。あちこちを探して、ようやく見つけた彼は、書斎の床の上に座り込んでいた。

「ここにいたのか、バニー」

 だが彼は振り向きもせず、返事もしない。よく見ると、全身が細かく震えている。顔色も悪く、ただごとではない。

「どうしたんだ、バニー? なにか、あったのか?」

 彼は、床の上にあった一冊の本を指した。絵本のようだ。

 虎徹は『かちかち山』とタイトルの描かれた絵本を拾い上げ、手に取った。東洋の昔話。どうということのない絵本だ。かなり古そうに見えるが、状態はいい。

『昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて、悪質な悪戯をする。業を煮やした翁は罠でタヌキを捕まえ、媼に狸汁にするように言って畑仕事に向かう。タヌキは改心した振りを装って、媼を騙し、縄を解かせると老婆を撲殺。その肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」を作る。そしてタヌキは、媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、嘲り笑って山に帰る』

 残酷な昔話だ。あまりに残酷なため、そういう部分を割愛あるいは改変した出版がなされるようになったと聞いたことがある。この本は改変以前のものだろう。絵も毒々しい。『あーははは。おまえは騙されたんだよ。おまえが食ったのは、タヌキ汁ではなく、ババア汁だよ。あーははは』と嘲笑うタヌキの憎々しいこと。

『翁は近くの山に住む仲良しのウサギに「媼の仇をとりたいが自分には、かないそうもない」と相談する。 事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かける』

 そしてウサギは、タヌキに制裁を加え、タヌキを泥の舟に乗せて海に沈め、媼の仇を討つ。

 ───── ウサギさん大活躍だな。

 勧善懲悪というのか、残酷ではあるが、いちおう大団円で終わる話である。だが最後のページを開いて、めでたしめでたしで終わった筈が、まだ次のページがあった。首をかしげながら、つぎのページをめくった虎徹は、思わず驚愕の声を漏らした。

『あーははは。おまえは騙されたんだよ。おまえが食ったのは、タヌキ汁ではなく、ババア汁だよ。あーははは』

 絵本の最後は、タヌキの嘲り笑うページで締めくくられていた。

 乱丁本なのだろうが、それにしては、あまりにも酷い。これではウサギの成敗までがタヌキの策略だったように読める。こんなものを子どもの目の付くところへ置いておくとは、まったくもって、けしからん、と怒りを覚えたが、本棚を眺めると、最上段の棚に本を抜き出したらしい隙間があった。ここから取り出したのだろう。この段なら子どもの手は届くまい。今のバーナビーの身長をもった子どもなど、ふつうなら、ありえないからだ。こどもに読ませるためではなく、コレクションとして秘蔵されていたものだろう。

 バーナビーは、うつむいたまま、じっとしている。とにかく、なんとかしなければ。

 机の引き出しをごそごそしてみると、いいぐあいにセロハンテープがあった。

「やい! 悪いタヌキめ! この鏑木虎徹が退治てくれる!」

 虎徹は「とう!」とか「おりゃ!」とか掛け声をかけ、絵本と取っ組み合いをする様を演じながら、絵本の最後のページをきっちり閉じ合わせて、テープでグルグル巻きにした。古書として価値があるものかもしれないが、人命より価値のあるものなどない筈だ。弁償しろというなら、してやろうじゃないかと威勢よく思う。

「ほら、バニー。これで、いいだろ?」

 お手製の割愛版だ。虎徹はバーナビーに絵本を手渡そうとした。

「見てごらん。悪いタヌキは、もういないよ。おじちゃんが、やっつけたからね」

 だが彼は、本を受け取ろうとしなかった。彼は静かに立ち上がると、何も言わずに書斎を出て行った。まずいことになったと虎徹は思う。今夜あたり、いよいよ嵐が来るかなと、ありがたくない予感がよぎった。





 真っ暗な廊下を歩く。足もとに敷かれた厚い絨毯に吸い取られ、足音はしない。そのかわりにパチパチと耳障りな音がする。音は廊下の端の客間から聞こえる。焦げ臭い臭いが鼻を突く。

 客間のドアは少し開いていて、中から明るい光がこぼれている。

 明るい光、いや、赤い光だ。

 ドアの隙間に顔を寄せると、熱気が襲ってきた。

 頬が、目が熱い。

 部屋の中には、あちこちに炎が立っていた。そして床にうつ伏せに、ソファに仰向けで倒れている父と母の姿が見えた。

 炎の赤と、血の赤。

 両親の遺体を見下ろすように、何者かが部屋の中央に立っていた。あざけるような笑みを頬に浮かべている。炎の明かりに照らされて、その者の顔が見えた。

 その顔は、自分の顔をしていた。

 バーナビーはベッドから跳ね起き、絶叫した。




 

 

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