Only love never dies.  2

 



 シュテルンビルトの郊外、針葉樹に囲まれた小高い丘の上に、ブルックス家の別荘はあった。自然に恵まれた環境など、よほどの資産家でなければ持てないご時世である。そういえばブルックス家は大層な資産家だと聞いたことがあった。まるで桁が違う。バーナビーが、なんとなく『良いトコのお坊ちゃん』に見えることがあるのは、素だったのだなと虎徹は思う。

 炊事や掃除、細かい雑用などは、通いのメイドがやってくれるし、看護士も毎日やってきて、バーナビーの健康状態に気を配ってくれる。ときおり医師も来て、彼の精神状態をチェックしてくれた。マーベリックの配慮は、かなり細やかで、何でも大雑把な虎徹には、ありがたい手配だった。本業が気にならないわけではなかったが、これも仕事のうちだと思えば苦にはならなかった。

 それにしても、奇妙な毎日だった。

 相手は二十四歳の成人男子の肉体を持っているとはいえ、中身は四歳児なのだ。外見がどうあれ、四歳児として扱わなければならない。大の大人を相手に、隠れんぼや鬼ごっこ、キャッチボールをする。まじめに、楽しく。TVゲームやボードゲームもする。食事をさせ、風呂に入れて髪を洗ってやり、眠るときはベッドで本を読んでやる。

 こうなると不思議なもので、虎徹の目には、バーナビーが本当に幼子に見えるようになった。彼を子どもとして扱うことに違和感がなくなると、それはそれで楽しい毎日だった。

 ただし、バーナビーは、四歳児にしては、奇妙に大人びた子どもだった。表情が少なく、親を恋しがることもなく、なんでも自分一人でしようとするところがあった。早く大人になるようにと、そんなふうに育てられてきたのかもしれない。だが、なにかと構っているうちに、しだいに虎徹に懐いてきて、笑顔を見せるようになった。長い手脚をもてあましながらも、彼は全力で、毎日よく食べ、よく遊び、よく眠った。

 そして夜には、広い邸内に二人きりになる。万一のことを考えたら、関わる人数は、少ないほうが安全だったからだ。

「おじちゃん、えほん、よんで」

 今夜も、片手にウサギのぬいぐるみを抱き、片手に絵本を持ったバーナビーが、虎徹の寝室に入ってくる。はじめの数日は、おのおのの寝室で、べつべつに眠っていたのだが、毎夜、深夜に怯えた顔で虎徹の寝室を訪れるバーナビーが痛々しくて、ひとつのベッドで、いっしょに眠るようになった。

 そういえば娘の楓が母親を亡くしたのも、ちょうど四歳のときだった。

 虎徹が妻を喪ったのは五年前。その当時、虎徹は、しばらく外出ができなくなった。一瞬でも目を離すと、楓が死んでしまうような気がして怖ろしかったのである。二週間も家に閉じこもり、締め切った暗い部屋で、楓と二人きりで過ごした。いま考えたら、ウツ状態だったのかもしれない。ほとんど強制的に娘と引き離され、母親に娘を引き取られて、ようやく日常に戻ることが出来た。

 世界で一番、娘を愛している。けれど、娘が身近にいると、愛しさのあまりに、混乱し、自分を見失いそうになる。いっそのこと無人島に閉じ込めて、他の誰にも触れさせないで守りたい。それは愛ではなくエゴだと分かっていても。なんて父親だと思う。

 あの頃は、どう過ごしていたんだっけ。来る日も来る日も、泣き続ける娘を抱きしめて抱きしめていたことくらいしか記憶がない。そうだ。もっと、いろんなことをしてやればよかったんだ。いっしょに遊んで、いっしょに笑って、いっしょに泣いて。

 ───── 本を読んでやるなんて、なかったな。

 寝息を立て始めたバーナビーの頭を撫でてやりながら虎徹は思う。

 娘にしてやりたくて、けれど、できなかったことを、いまバーナビーでやり直しているような気がした。





 こてつおじちゃんは、おもしろい、とバーナビーは思う。

 もともと両親は多忙で、家を留守にしがちだった。だからバーナビーにとっては、両親の不在は、今に始まったことではなかった。寂しさにも慣れている。それに、たとえメイドがいても、自分のことは自分でやる、という姿勢は、別荘に移っても変わらなかった。

 だが今回は、両親の友人だという虎徹が一緒に来てくれて、なにかとバーナビーを構ってくれる。最初は様子を伺っていたバーナビーも、しだいに彼の存在に慣れていった。

 だって彼は、大人気ないというか、バーナビーと本気で遊ぶのだ。駆けっこでも、隠れんぼでも、TVゲームでも、負けると、すごく悔しがる。それが楽しかった。

 たまに虎徹が料理の腕をふるうこともあった。通いのメイドのラランジャと、やはり通いの看護士のク・マールと、ときどきやって来る医師のドクター・シィンの分もと言って、パスタを山ほど茹で、手作りのトマトソースをかけてみたり、大きな鍋で大量の煮物を作ってみたりする。

 そんなときにはバーナビーにも手伝わせてくれる。野菜を洗って、ちぎるだけとか、マヨネーズをかけるだけとか、鍋の中のマッシュルームを数えるだけとか、簡単な作業だったが、バーナビーにとっては真剣だった。そして手伝いが終わると、彼は手のひらでバーナビーの頭を撫でてくれる。それが嬉しかった。

 だが、いちばん嬉しかったのは、夜に、虎徹が、いっしょのベッドで眠ってくれることだった。バーナビーは眠ると必ず怖い夢を見た。内容は思い出せないが、いつも深夜に恐怖で目醒めていた。眠ると、また怖い夢を見る。それが怖ろしくて家の中をうろつくこともあった。そんなとき、虎徹の部屋に行くと、彼は、たいがい起きていて、自分のベッドの中へと招いてくれる。眠るまで本を読んでくれたり、低い声で歌を歌ってくれたりする。

 虎徹の傍らで眠ると、なぜか悪夢は来なかった。そのうちに、一緒に寝るのが当たり前になってしまうと、バーナビーは寝る前に読んでもらう本を選んで彼の部屋を訪れるのが就眠儀式となった。

 こてつおじちゃんは、おとうさんみたいで、おかあさんみたい。

 至福の時といえた。





 

 

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