誰でも一度は思いつく記憶喪失ネタのインサイド・ストーリーです。

密着度は高いのですが、そーゆーシーンは、ありません。

自分で書いといて何なんですが、

この設定は燃える…。

『ひらがな』で喋るバニが可愛すぎる…。

なお、シィン医師、ラランジャ、ク・マールはオリジナル・キャラクターです。

そーゆーの、苦手な方は、ご注意ください。


キッチン戦線 異状なし 一

 


 ヘルメットにゴーグル、そして胸当てつきのエプロン。戦闘の装備は完璧だ。

「ぶるっくすにとうへい、せんとうじゅんび、かんりょうであります!」

 バーナビーはビシッと敬礼した。敬礼した相手は鏑木虎徹。隊長だという彼も胸当てつきのエプロンをかけ、片手にフライパン、残る片手には大き目のレードル(おたま)を持っている。

「ラランジャ曹長、同じく戦闘準備完了です!」

「ク・マール看護長、同じく、そんな感じでっす!」

 ハウスキーパーのラランジャと、看護師のク・マールも、それぞれにエプロンをかけた姿で虎徹に敬礼した。

「よぉし、本日のミッションは『ナスとトマトのスパゲティ』と『カプレーゼ・サラダ』だ!」

 フライパンとレードルを持ったまま敬礼を返した虎徹は、腕組みをしながら言った。

「各班、戦闘開始だ。それぞれの持ち場を死守し、各自、気をつけて任務遂行に当たれ!」

「ラージャ!」

 広いキッチンにはバーナビーと、虎徹と、通いのハウスキーパーのラランジャ・グレイと、同じく通いの看護師のタ・シェ・マオ・ク・マールの四人しかいない。でも、ここは戦場なのだそうだ。
 
 バーナビーは『野菜』班だった。野菜を洗って料理の準備をするのが任務だ。玉ねぎは皮をむいたあとに洗わなければならない。戦闘の最前線で、重要な役割だった。

「たまねぎ、あらいました、どうぞ」

「ラランジャ曹長、玉ねぎ了解! 薄切りにします」

 洗った玉ネギをラランジャが受け取り、薄切りにし始めた。

 ラランジャは、プラチナブロンドをショートカットにした青い目の背の高い女性だ。一目でコーカソイドと分かる彫りの深い整った顔立ちをしている。ケーパーを粗く刻んでいるク・マールは長い黒髪に黒い瞳の女性。こちらは小柄で、虎徹よりも、さらに東洋の血が濃いと思わせる容貌をしている。

 二人とも若く、二十代前半だろうと思われるが、しかし、若くても、ワケありセレブ御用達の一流派遣会社から遣わされている二人は、顧客のニーズに合わせた対応をしてくれて、なおかつ口の堅さも一流だという話だった。もちろんバーナビーには細かい事は分からない。けれど家事などの合間に虎徹やバーナビーと本気で遊ぶ彼女らは、一緒にいて楽しい相手だった。

 レンジの前では虎徹が、つぶしたニンニクをフライパンで炒めていた。キッチンはニンニクの香ばしい香りでいっぱいになった。

「なす、あらいました、どうぞ」

「ナス了解! 一口大に切ります」

「とまと、あらいました、どうぞ」

「はい。トマトも了解です。ザク切りと輪切りにします。ク・マール看護長、水煮トマトの缶、開けてください、どうぞ」

「ク・マール看護長、トマト水煮缶、了解でっすぅ」

 ク・マールが間延びした口調で答える。

 虎徹はニンニクに香りが出たところで、フライパンに玉ネギを投入した。玉ネギが、しんなりしたところでナスとケーパーを加え、ナスに焼き色が付くまで炒めている。

 ク・マールは大きな鍋にトマトの水煮缶を空け、生のトマトのザク切りを加えて火に掛け、煮立たせている。そこへ虎徹はフライパンの中身を空けた。

 ハウスキーパーのラランジャは、さすがに手際がいい。彼女は、もうすでに寸胴鍋いっぱいに湯を沸かしていた。鍋で沸騰する湯に塩を入れると、スパゲティを落とす。スパゲティは鍋の中で花が開くように、丸く、きれいに広がった。

 バーナビーはサラダ用のバジルの葉を洗い、キッチンペーパーの上に置いた。これはカプレーゼ・サラダで、輪切りにしたトマトにモッツァレラチーズを乗せ、その上に乗せるものだ。白いキッチンペーパーの上に置かれた鮮やかなグリーンは、目の醒めるような色合いで、洗ったあとの指先にも清々しい匂いが移っていた。

「そろそろアレだな、いい感じだな。ブルックス二等兵、テーブルの上に人数分の皿を出しといてくれ」

 トマトソースの鍋をレードルでゆっくりかき混ぜながら虎徹が言う。自分の担当の仕事を終えて、『気をつけ』の姿勢で、つぎの指令を待っていたバーナビーは、元気よく「はい」と返事をして、皿を出すために、テーブルの上に置いてあった野菜の残りを片付けようとした。

 ナスをむずと掴んだ瞬間、鋭い痛みが手のひらに走った。

「いたっ!」

「バニー!?」

「坊ちゃん!?」

 虎徹とク・マールが駆け寄った。

「どうした?」

「たいちょ……てが、いたいです」

 無造作にナスを掴み上げたため、ヘタのところの棘が、手のひらに刺さったのだ。ナスは新鮮なものほどヘタの棘が大きく鋭い。料理に慣れた者でも、うっかり刺してしまうことがある。

 虎徹は身をかがめ、バーナビーの傷ついた手のひらを神妙に眺めた。棘は単純に刺さって抜けただけのようで、手のひらに棘は残っていない。傷は深くはないが、わずかに血がにじみ出ている。
それでも、大事はなさそうで、虎徹は、傍目で見ても分かるくらい、ほっとしたようだった。

「ク・マール看護長、ブルックス二等兵が名誉の負傷だ。大至急、手当てを要する」

「了解でありまーす、鏑木隊長!」

 ク・マールはバーナビーの傍に膝を付いて身をかがめると、ウエストポーチから消毒用のスプレーを取り出し、バーナビーの手のひらにシュッと霧を吹きかけた。それからガーゼで拭い清めたあと、手のひら全体を包帯でグルグル捲きにした。明らかに悪ノリしていた。

「手当て完了でありまーす、鏑木隊長。ブルックス二等兵の負傷は、命に別状は、ありませーん」

 バーナビーは泣きそうになった。痛みで、というよりは、驚きで不安になったのだ。

「ふぇ……」

「ああああ泣いちゃいかーん。男が泣いていいのはなぁ、財布を落とした時と、財布を落とした時と、財布を落とした時だけだー」

「りょ、りょうかいで、あります、たいちょ…」

「隊長、なんべんサイフを落としているんですか」

「わぁん、それ聞くな。涙の数だけだー」

「それは、わたしでも泣きたくなりますね」

 ラランジャが畳み込む。さらにク・マールが止めを刺しに来る。プライベートでも友人というだけあって、この二人は絶妙のコンビネーションだ。

「じゃあアタシ隊長の後ろ付いて歩きますねー。心置きなく落としてくださーい。できればお給料日の、すぐ後がいいでーす」

「ぜってぇ落とさねぇから。もう泣かねぇんだから」

 『男が泣いていいのは、親を亡くした時と、財布を落とした時だけ』という有名なフレーズを使おうとした虎徹が、『親を亡くした時』が洒落にならないと瞬時に気づき、けれど他にいいフレーズが何も浮かばなかったため、『財布を落とした時』を繰り返したのだと、そのときのバーナビーは知らない。ただ、その後のやり取りが、まるでコントのように面白くて、手を怪我した痛みをすっかり忘れてしまった。

 やがて騒ぎの間も、冷静にレンジから離れず、火加減を見続けていたラランジャのおかげで、トマトソースが出来上がったと同時に、茹ですぎる事もなくスパゲティが茹で上がった。

 茹で上がったスパゲティにソースを和え、人数分の皿に盛り付けると、オリーブオイルと、パルメザンチーズ、イタリアンパセリの粗みじんをふりかける。サラダも、やはり人数分の器にトマト、モッツァレラチーズの順に盛り、バジルの葉を飾って、軽く塩と胡椒をふってから、オリーブオイルをかけた。

「任務完了です。鏑木隊長」

 仕上げを受け持ったラランジャが、敬礼しながら言った。ク・マールもバーナビーも、それに倣った。

「よぉし、ミッション・コンプリートだ」

 返礼しながら虎徹が言うと、そこでタイミングよくドアチャイムが鳴った。昼食に招いたドクター・シィンが到着したのだろう。ク・マールがキッチンを飛び出して彼を迎えに行った。


 

 

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